Cryptobiosis of Annatto60

アナトー・シキソのクリプトビオシス

アメリカ映画の『ラースと、その彼女』(原題『lars and the real girl』)をいろいろ考えながら観た。いろいろなモチーフが見える。

ひとつめのモチーフは、もし親しい人が選んだ恋人が、異人種だったら、異国人だったら、異宗教だったら、同性だったら、親子以上の年齢差だったら、そして、ラブドールだったら、受け入れることが出来るか。つまり、人間が根源的に持っている差別意識はどこまで、退くこと(乗り越えること)ができるか。

ふたつめのモチーフは、ひとりの人間が生きている「世界」というものは「本当」はどんなものなのか、というもの。人間は、物理法則に支配され、生物の繁殖本能に支配された、リアルな世界で生かされながら、その上に蜃気楼のように現れている虚構の世界をこそ〈積極的〉に生きているということ。

みっつめのモチーフは、社会の構成員である人間たちが、「実在するその人」と看做すある人格を持った存在というものは、当人ではなく、周囲の人間によって形作られるものだ、というもの。人間の社会において、ただの山や、ただの岩や、ただの布切れや、ただのラブドールが、あるしっかりとした人格として扱われることは珍しくない。

全編を通じて、全くふざけない、逸らさない展開も好かった。登場人物たちが、みんな「ちゃんと踏ん張ることが出来る」人間なのも観ていて気持ちがよかった。もう一回観るかもしれない。観るだろうなあ。

2015/04/22 アナトー・シキソ